石黒から引き継ぎました、36期の杉浦巧真です。J.のママというように紹介されていますが、どうしてこのように呼ばれるようになったのでしょうか……少なくともママではなく、パパのはずなんですが。ただ、おじいちゃんと呼ばれていた小学校時代を思い出すと、若返りましたね。一応喜んでおきます。

去年は非インカレ選手でブログを書いたのが自分だけで、肩身の狭い思いをしました。香川自走中の宿でみんなが爆睡している中、見劣りしないように精一杯文章を練り上げていたのは良い思い出です。今年は去年より多くの人がブログを書いてくれて嬉しいです。来年もこの流れが続くと良いですね。

ご存知の方もいるかもしれませんが、自分は文章を書く際に、手短にまとめるのがとても苦手です。カンカレの時に全体ミーティングで代読してもらったメッセージは、某2マネに「ホス狂?」と言われてしまうほどでした。今回も駄文になってしまっているかもしれませんが、お時間のある際に片手間で読んでいただけると幸いです。

個人の振り返り

さて本題。去年のインカレが終わってからの1年は、トライアスロンに、ひいてはJ.に、どっぷり浸かった1年でした。正直去年は右も左も分からないまま、がむしゃらにやっていただけでした。しかし、今年はある程度自分の力量も分かってきて、色々考えながらレースに臨むようになりました。単に3種目を連続してやるだけではなく、トランジのスキルに加え、上手く力配分も考えなければならないという、この競技の魅力をさらに感じつつあります。それなのに、なぜ横トラでも西カレでも屍になったのでしょう?この疑問に対しては、返答を差し控えさせていただきます。

そして、J.の環境が大きく変わった1年でもあります。出会いも別れもあり、休部する先輩もいれば、海外逃亡(留学)する同期もいました。そしてなにより、たくさんの新入生を迎えることが出来ました。新歓に携わった人間としてはとても嬉しい限りです。今までの自分には、深く関わる後輩がいたことがないので、上手く先輩をやれているかは疑問ですが、こちらは良い刺激をもらえています。何に惹かれて入ってきてくれたのかはそれぞれだと思いますが、その選択を後悔させないチームの一員であり続けたいですね。

⇧誰を表紙に載せようか考えていた時に、下級生⋏インカレ出場という条件と引き換えに、この3人を選びました。そして本当にボーダーを突破した、頼もしい同期達です。

少し選手としての自分について話せば、学連委員を務めていることもあり、今年のメインレースは西カレでした。スイムでブイを見間違えて蛇行するという最悪のスタートを切り、バイクでは踏み過ぎて足を激しく消耗し、皆さんご存知のあのランコースに挑むことになりました。4月の下見の際にぶっ飛び具合を目にしていたとはいえ、現実はさらに厳しい壁でした。脱水も相まって、命からがら完走という幕切れとなり、情けなかったです。しかし、バイクで多少追い上げ、ラン入りで夢を見ることができたのはとても楽しかったです。去年の自分では到底手の届かなかった舞台を、視界の端に少しでも捉えることが出来たのは良い経験でした。必ず来年以降に繋げます。

⇧この時、「全力を出し切れるのも才能だ」という言葉をかけていただきました。上手くいかず悔しいという気持ち以上に、サポートや応援に遠路はるばる来て下さった皆さんへの申し訳なさを感じていた自分は、この言葉に救われました。もちろん物事には限度があり、周りに迷惑をかけるのは良いことではありません。しかし、自分の中のリミッターを解除し、気持ちで突き進むというのも一興だと感じます。自分都合と言えばそれまでですが、ここまでのめりこめる物事は世の中にあまりないと思うのです。関係ないですが、人が苦しんでいる時に左の人はどうしてこんなにニヤニヤしているんですかね。

正直、今年ボーダーを突破できる確率はとても低かったです。そこで第二目標に据えていた宮崎出場を現在目指しているわけですが、上手くいくレースも出てきています。あまり自分で言うことではないかもしれませんが、着実に力はついてきているので、さらにステップアップしていきたいと思います。スイムの強化と暑さ・ODへの距離耐性が重点です。とりあえずは、スプリントではあるものの、11月に宮崎の地に向かえるようあと一試合頑張ります。

チームの振り返り

西カレの2週間後、チームのメインレースであるカンカレを迎えました。皆がこの日にかける思いは並々ならぬものだったでしょう。午前に初出場の女子選手2人が見事完走を果たした後、13時28分、関東選手権が幕を開けました。今年は今までとはバイクコースが変わり、枠も減るという厳しい条件の中での戦いでした。そんな中、皆素晴らしいレースを魅せてくれ、4人がボーダーを突破して観音寺へ駒を進めました。是非ともJ.の名を全国に轟かすような暴れ方をしてきてもらいたいと思います。一方で、残念ながら辛酸を舐めることになった選手も少なくありません。慰めというわけではなく、一度原点に立ち返って考えてみると、そもそもOD完走は普通のことではありません。その普通ではないことを前提に、さらに厳しい枠の中で勝負する姿は外から見るととても輝いています。今年はランコースの僻地で他大も含む多くの選手のゴールへの道のりを見守っていました。初レースを苦しみながらも楽しむ選手。競技人生ラストを噛みしめながら一歩一歩前に進む選手。表彰台を狙って鎬を削る選手。レースへの臨み方というものは本当に様々です。結果が全てと言う人もいるでしょうが、各選手にそれぞれのドラマがあり、観戦者も惹きつけるのが、この学生スポーツの魅力だと思います。

終わりに

レースを終えて振り返った時に、誰でも満足いく部分もいかない部分もあることでしょう。西カレ直前に言われた言葉で、心に残っているものがあります。それは「恥ずかしくないレースをしろ」という言葉です。単にボーダーを突破すれば良いのかと言われれば、そうではないと思います。ゴールした時に自分の持てる全てを出し切ったと胸を張って言えれば良いのだと解釈しています。それは皆がやっていることだと言ってしまえばその通りです。しかし逆に、そこまでしても限られた人数しか辿り着けないのがインカレという舞台です。このスタートラインに立った選手には胸を張って、全てを出し切ってきてもらいたいです。自分は今回、学連スタッフとしての観音寺入りです。来年は自分も選手として晩翠に泊まれることを願って、結びとさせていただきます。

明日は我らが主将、神津さんです。昨年も主将に引き継いだという多少のデジャブを感じつつ……お楽しみに!

小噺

カンカレが終わった直後に、この文章の土台を作り、その後少しずつ加筆修正するという形をとっていたのですが、完成する直前にインカレ中止が決まりました。出場する予定だった選手と同じぐらいとは到底言えませんが、同期が出る初のインカレを見たいという気持ちはとても大きかったです。今は考えていることを上手く言語化できない複雑な気持ちですが、せっかく作ったものをお蔵入りさせるのもあれなので、ここで供養させてください。

著者

Takuma Sugiura

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