ご紹介にあずかりました、31期の関根貴大です。インカレは2回目の出場です。トラブルが発生して投稿が遅れました、申し訳ありません。インカレではお手柔らかにお願いします笑

今年は場所や季節も違いますが、インカレの時期がやってきました。自分は今年インカレが出来ること自体奇跡だと思います。この奇跡に感謝しかないです。そんな状況で、自分がバイト後などの暇な時間にいつも真剣に考えている事があります。それは、”もしも、コロナ禍が起きなかったら自分はどんな風にトライアスロンに取り組んでいたのか?”という事です。

自分が一番好きな写真(関根は右)

去年のインカレが終わってからコロナ禍が始まるまで、自分はずっと進路に悩んでました。というのも、自分にとっての最大の目標だったインカレに出場することが出来たので、自分の将来をしっかりと考えることにしたのです。結論から言うと、TeamJ.の為に練習を続ける決断をしました。しかし、これは個人の意思というよりかは、周りに本気で引退したいと言う勇気が持てなかったからでした。当時の自分は新しいことに挑戦したかったのです。でも、言うことが出来ませんでした。結局、引退して自分のやりたい勉強をし、トライアスロンを初めてから疎遠になった大学の友達と遊ぶべきだと思いながら練習する毎日を過ごすことになりました。こんな最悪の状況で、怪我したことも相まって精神的に不安定になっていきます。正直、トライアスロンを始めたことを激しく後悔することも多くなっていきました。もちろん、とてもTeamJ.が楽しい日も結構ありました。しかし、どんどんトライアスロンに対する情熱は消えていきました。早い話が、しっかりとした自分の目標を持つことが出来ずに、大学生活含めた日常生活の全てに嫌気が差していたのです。

だからなのでしょう、コロナ禍が酷くなってからは、自分の嫌な部分がどんどん出てくるようになりました。あの頃は練習が無くなったことで、とても気分は良くなり体調が回復し、関カレやインカレが中止になる事を本気で臨んでいた事をよく覚えています。そして、オンラインとは言え、ゼミが楽しかった事も相まって、トライアスロン辞めてTeamJ.から蒸発しようと考えていました。4月迄は。

楽しかった春合宿(関根は最後尾)

しかし、5月辺りから感情に変化が現れます。自分がずっと家にこもる生活をするあまり、ほとんど人に会わない生活をするようになり、今度はTeamJ.の皆に会いたくなってきたのです。結局、自分は色々な事を考えて悩んでるふりをしていただけで、本当はただただ疲れていただけでした笑。そして、みんなに会えなかった分、会ってから自分にとっての本当の宝物を見つけました。今、自分が本当に大切にするべきなのは新しい刺激でもなく、交流関係を手広くする事でもありません。TeamJ.の何気ない日常こそ、誰が何を言おうが、慶應の他の誰にも絶対に負けないかけがえのない宝物だったのです。自分の勝手極まりない感情ですが、この宝物に気づけた自分はあれだけ嫌っていたトライアスロンへの情熱が結果的に復活しました。そして、こんな状況でも新入生が来てくれたことに加えて、8月のT.T(タイムトライアル)で後輩の岸本に苦汁をなめさせられる羽目になり、自分のモチベーションが昔のように戻ってきました。ほぼほぼ、”アメ車完全復活”と言っていいでしょう。

夏合宿の写真を某AIでパソコンに送った時のコラ画像。早く楽しい合宿を…

とは言え、朝のスイム練で1年生スイマーを見ると自分がベテラン選手になり始めたことに気づきます。常日頃、バイト先に通っている小学生の生年月日が、ほとんど2010年代で自分が年老いたことを実感しています。ですが、今の1年生が頑張っている所を見ると、バイト先の比ではありません。自分が大学1年生の頃の偉大な小池さんの年に近づき、キング・カズこと稲員さんの学年になりかかっている事実をつきつけられ、自分が全てを賭けてインカレ出場を目指して死ぬ気で頑張っていたころの記憶がミックスされます。そうすると、後輩が頑張っているのを応援したくなる気持ちに、懐かしくも寂しい感情と後輩に負けていられない、という気持ちが溢れなんとも表現できない感情に襲われます。昔の自分には戻れない事を自覚しながらも、新たなモチベーションが生まれる、今の自分の感情の名前は分かりませんが、少なくても昔よりはやる気満々です。(わかる人は教えてください)

恐らく、自分はトライアスロン界だけではなく、日本や世界でも珍しいコロナで救われた人間の一人です。コロナのお陰でモチベーションを完全に取り戻せたと思っています。おそらく、コロナ禍が無かったら今の自分よりも選手としても人間としても弱かったと思います。コロナで亡くなられた方々やコロナのせいで直接的にも間接的にも不幸になられた人を決して忘れずに、インカレに挑みます。そして、たとえ、どのような最悪の結果が出てもこれを糧にして来年も戦いたいと思います。

さて、次は僕のあだ名”アメ車”の名付け親かつ旧知の仲間の31期の方か、”新2年生”の方のブログになります。どうぞお楽しみに!

追記シーシャってうまいの? Yoasobi飽きた 交通費かかり過ぎ 今更、さんぴんCamp見てて面白い